Test Fishing

2016 6/16 鯵ヶ沢沖 漁船釣り ヤマセ強い 水温16.0度 C
若潮  干潮4:53 満潮 11:21

今日は一人での出航です 水温が先日 16.8度 上げ潮で食いつく予定ですが
はたして。。
朝3時15分出航 港は まだ闇に包まれています
サーチライトを点けて 防波堤にぶつからないように ユックリ走ります

沖は陸からの風が吹いており寒い




朝一は メバル狙い 反応を探しながら走りますが 無いですね。。。
いつものポイントに着くと 大きな反応があります
  急かすように 仕掛けを水面に投げ入れる

中層に 帯状に広がる イタダキ反応 海底まで仕掛けを下ろし
ユックリ巻き上げる

コツント 当たる 魚の魚信  ホールドすると 次々食い込みますが
ピタットとまる

巻き上げると 大小交じりで 数匹着いています

この後は 何度反応を攻めても食い込まない
朝の干潮は4:53分

潮どまりですね

メバルは 潮に敏感です 潮が合わないと 全く食いません
今までの経験で これ以上は 無理と判断

すぐに カサゴ釣りに切り替えます

浅場に走り ポイントに到着

先日まで うるさいくらい 騒いでいた ワラサのナブラがありません

シーアンカーを入れて オバルジグにイカの足を付けます
最近調子の良い ペパーミントで攻めます

しかし 当たりが出ない もう一本置き竿にしている メタリックスのオバルで
釣ってみると ヒットします
今日は この色の反応が良いようです

潮も 上げ潮に変わり 釣れる筈ですが 中々食いません

それでも 忘れる頃に ヒット 30cm位のカサゴ
サイズは良いですよ

そのうち 中層巻き上げでヒット! 60cmワラサです

上げの三分 魚の活性が上がり 
次々ヒット! 

しかし 時合いが終わると どこを流しても食いつきません

水揚げするには数が揃いません
食べるには多すぎる

粘りますが カサゴの数が足りない
 
これ以上やっても無理と考え 10時終了しました





漁港に着いて 後始末をしていると
人影が。。。
4人ほどいて 一人はカメラを持っている 

「 あの〜 お話良いですか?  みのもんた けんみんショーの取材ですが。。。」
断る理由も無いので 少し話をしました

「青森から見て 東京でびっくりする事は。。」
聞かれましたが 沖から帰って来て 釣れないし 2時起きの ボーッとしている
頭では 急に聞かれても 思考回路が麻痺しています

とっさに思いついたのは。。
「秋葉原のメイドカフェは凄いですね。。」 訳の分からない事を口走り
TV「東京には来た事はありますか?」
失礼な事を話します

東京には何度も行っているし 秋葉原も行った事が有りますよ

話があまり面白くなかったようで 早々に 去って行きました

TV的には 津軽弁を駆使して 面白い話を撮りたかった 
津軽人は バイリンガルなので 2ヶ国語 使い分けます
東京の人には 共通語で対応しますし
津軽の人には津軽弁で話します
カメラが回っていると 本物の津軽弁は誰も使っていませんね
津軽弁もどき 
本物を聞きたいならば 地元の人同士で話す 会話を聞く事が
津軽弁の本物です

間違いなく すべて字幕が出ていないと 全く解らないでしょうね
津軽弁は 日本語の方言ではなく 津軽王国の言語
外国語と認識したほうが良いです

沖縄の言葉が難しいのは 琉球王国の言葉だからで 別の国の言葉なのです
島で 日本と別れていたから 日本人は言葉が違うと感じるでしょう

津軽一帯も 海と山で囲まれ 人の行き来が難しい地域
そのため 海路からの交易文化が津軽を作ったと考える事が出きます

そのため 現在の共通語とかけ離れている 言葉が存在してもおかしくありません

津軽弁は実は 共通語の訛りではなく 津軽語なのです

津軽人は元々 縄文系の人たちが始祖になっており
縄文人は狩猟採集民族 で暮らしていました
海の物を取り山の物を取り 四季折々の 食べ物を食べて
何千年も 縄文時代が続いたのです
これは 津軽一帯の地形が 食べ物を豊富に生み出したからであり
現在でも 津軽一帯の人達は 縄文の生活をしています
そのため 全国最下位の所得 
その中でも 鯵ケ沢町の年間所得は 青森県の中でも 最下位
日本で一番所得の少ない町なのです
しかし 所得が少ないのに かなり豊かな食生活をしています

多分 素材で考えれば 日本で一番高価な食べ物を食べているはずです
これを お金換算すると とんでもない数字になります

現実に 米はもらうし 魚は釣るし 野菜も魚と取り替えます
獲った魚が知り合いや近所に配る
それが 形を変えて帰ってくる

そのため どこの家でも 豊かな食卓になる

鯵ケ沢はすべても素材がある町で 極端に言えば お金が無くても
もらったもので 生活出来ます
物価もとても安く 年金が安くて 都市部で生活の出来ない人達は
鯵ケ沢に住めば良いのです
話は飛びましたが

縄文系の人達は 採取民族 
関東以西の人達は弥生系の人たちが基本になっています
弥生系の人たちは 農耕文化

どちらもメリットデメリットがあります
縄文は 狩猟が基本ですので 人口が増えすぎると 食べ物が獲り尽くす恐れがあり
人を増やせない そのため 部落の人口が限られる
弥生は 畑作をしているため 部落の人口を増やす事が出来ます
ただ 耕作面積が必要になるため 条件の良い場所の 取り合いが始まり
昔から 関東以西は日本人同士の 戦の歴史でも有ります
関東以北では 戦の歴史がありません
縄文人は 戦を好みません 地形的にも戦をするには無理があったのです

このように考えると 少なくても今から1000年前は
津軽一帯は中央の支配を受けていなく
住んでいる人たちも 縄文系の人たちがほとんど
津軽の人は我慢強いといいますが
これは狩猟採取のを生業としていたため
冬を乗り切る必要が我慢強さを育てたのだと思います

人々は人間も自然の一部と考え 自然を支配するのではなく 
熊や獣たちと同じように 自然の恵みで生かされている 感覚が強かったのだと思います
現在 熊の事件が報道されていますが
熊が悪いように書かれていますが はたしてどうでしょうか
山にどこまでも道を作り 車で入っていきます
山の獣たちの聖域に 入って行き
獣の食べ物を根こそぎ獲る

道は 山の獣たちにとっても 下界に続く道であり
山を降りれば 至る所に 畑があり 熊にしてみれば スーパーがあるようなもの
楽して美味しい物を食べる事が出来る
一度 これを知ってしまえば 何回でも来るようになります
これは 人間も同じ事

力ずくで支配してきた人間に対する山の神の警告なのです
人間を食べることしなかった熊が人を食べるようになる
線引きを超えた行為が このような事態を生み出しているのは
人間が始めに線引きを越えた事が 原因と考えます

すべての物には線引きがあり 人と人との線引き
釣り人と漁師の線引き 
お互いにこれを意識して超えないように生きていく
縄文人は 線引きを超えないように生活したため
5000年以上 縄文文化が続いたのです
縄文時代が終わって弥生時代に変わって まだ1000年ほど
現代人は自然との調和で生きることを忘れたため
経験した事の無いような事態が起こっているのです


今日の釣果はイマイチでしたが 魚の都合で仕方ありません



釣れる時もあれば 釣れない時もある
これが 釣り師と魚の調和ですね